小金井自然観察会 コラム (会報 こなら 2024年7月号に掲載)

「エサキモンキツノカメムシ」異聞

 

清水 徹男 (当会初代会長) 

  このところカメムシの報道がマスコミを賑わせている。観察会でも野川公園のミズキなどに止まる派手な模様のカメムシを見ることがある。エサキモンキツノカメムシである。(⇒右に掲載の図版参照)。これを見つけると幹事さんは、「エサキ」は人名、「モンキ」は「紋黄」、「ツノカメムシ」は「角かめむし」、即ち、「昆虫学者の江崎さん」に因んで名付けられた、黄色い紋があり、角状の突起があるカメムシ」です、と説明し、参加者はこの説明に納得する。しかし、この説明ではムシの形状、模様などを説明するには充分であるが、「江崎さん」についての説明はまず聞いたことがない。私はこの「江崎さん」に実際にお目にかかったことがある。そのような経験をお持ちの方はおそらくもうほとんどおられないと思われるので、この「エサキ」さんに因んだ挿話をいくつかご披露してみたい。

イラスト制作:高橋利行氏


 まず、エサキさんの本名は「江崎悌三」、プロフィールは次の通り:1899年大阪生れ、1923年東京大学理学部動物学科卒業、4月に九州大学助教授、1924年昆虫学研究のため欧州留学、留学中にドイツでシャルロッテさんと結婚、1928年帰国、1930年九州大学農学部動物学教授、同年11月理学博士、学位論文は「アメンボ類の研究」、1955年九州大学教養部部長、1957年没。

私が江崎先生にお目にかかったのは終戦直後の1947~48年の頃のことである。当時私は旧制中学~新制高校生として福岡市に住み、進学先として九州大学を目指していた。ところで、私は小学生のころから趣味の一つとして切手収集を楽しんでいたが、当時福岡市にも切手収集愛好者の団体があり、お互いに収集品を披露しあったり、講師を招いてお話を伺ったりしていた。まだ中学生だった私は文字通りその末席に参加させていただいていたが、江崎先生はその会のメンバーとして参加され、特に留学されていたドイツの切手にお詳しく、超インフレに悩まされた際のドイツ切手の額面記載の変化など、いろいろと貴重なお話をお伺いした。このように私が江崎先生にお目にかかったのは昆虫学とは無縁の分野でのことであった。

1951年、私は九州大学に入学したが法文系の学部を選んだため、大学では江崎先生にお目にかかる機会はなかった。ところで先生は背が高く、ドイツ娘が惚れたのも無理からぬ「白皙明眸」の表現が当てはまる素敵な容姿であられた。奥様シャルロッテさんは戦時中も友好国人ということで、ドイツ語教室を開設し、自由に行動され、福岡市内ではちょっとした有名人だったと聞く。


 私はシャルロッテさんにお目にかかったことはなかったが、娘さん、すなわち江崎教授のお嬢さんが、私と学部こそ異なるが、たまたま同期に九州大学に入学された。当時、受講生が多い教養部科目の講義は文理合同、同じ教場で講義されることがあり、その一つが「ドイツ語」であった。そのドイツ語の講義中、受講生がテキストの一節を読むこととなり、講師の先生は出席者リストを見ながら、彼女が江崎教授の息女であることを知ってか知らないでか、「江崎さん」と指名された。当然のことながら彼女からは見事なドイツ語が流れ出し、それは誰か聞いても講師の発音より見事だった。そして、二度と彼女がドイツ語講師から指されることはなかった。

ところで、 エサキモンキツノカメムシの学名は Sastragala esakii、すなわち種小名(後半部分)として江崎先生の姓が採択されている。種小名に人名が用いられることは珍しいことではなく、その種の最初の発見者や報告者の名、優れた学者に敬意を表してその姓を利用させて頂く(献呈)、などがある。しかし、いずれにしても、江崎先生の姓がこの種小名に採択されているということは、エサキモンキツノカメムシが新種として最初に学会に発表されたとき、その発見者(命名者)が江崎先生であった、と見るのが妥当であろう。しかし江崎先生が東京大学を卒業されたのが1923年であるから、この新種発表は江崎先生の学生時代、即ち明治末期になされたと見て良いだろう。そうすると疑問が生じる。我々が野川公園で容易に観察することができるこの派手なカメムシは明治末期に初めて発見され、新種として記録されたのであろうか。あの派手な姿のカメムシはそれまで誰にも新種として気付かれなかったのであろうか。不思議で仕方がない。  


小金井自然観察会 コラム

(会報 こなら 2018年10月号に掲載)

自然界の音楽

清水 徹男 (当会初代会長)

 

自然界はいろいろな音にあふれているが、それを聴きとり、聞き分けるのも自然観察の楽しみの一つである。野川公園あたりで聞くこと の声をとりいれた西欧の楽曲は多数作られてきた。例えば、「カッコウ」⇒ヨナーソン(かっこうワルツ)ほか、「ヒバリ」⇒ ハイドン(弦楽四重奏67番二長調)ほか、「ハクチョウ」⇒サン=サーンス(動物の謝肉祭)、シベリウス(トウネラの白鳥)ほかなどがすぐに思いつく。

このうちわが国でも良く知られている「かっこうワルツ」は野鳥(カッコウ)の声をメロディに取り入れた曲であるが、他の曲の多くは、その雰囲気がある鳥の声を思わせる、というところから名付けられたものであり、鳥の声を直接描写したものではない。だから、たとえばサンサーンスの「白鳥」を、曲名を知らされずに聞かされて直ちにハクチョウを思い浮かべる人はおそらくほとんどいないだろう。だいいち、白鳥、と聞いてその鳴き声をすぐに思い浮かぶことができる人は多くないだろうし、たとえ思い出したとしてもあの声はあまり音楽的とはいえない。

ところが、野鳥の声そのものを、しかも3種も、メロディに取り入れた有名な曲がある。ベートーベン作曲、交響曲第6番「田園」がそれであり、この曲は第2楽章の末尾で、フルートでナイチンゲール、オーボエでウズラ、そしてクラリネットでカッコウを歌わせている。 

ほかにも西欧には鳥の名前を題材に取り入れたり、声をメロディに利用したりした楽曲は多数あるが、セミやコオロギの声など、虫の名前や声を利用した曲があることを知らない。その理由として、西欧は緯度が日本より高いので棲んでいる虫の種類が日本よりはるかに少ないこと、日本人は古来、虫の声をめでて楽しむ文化があるが、西欧にはそのような習慣が全くなく、虫の声は雑音としてしか認識されていないこと、などが挙げられる。

そして実際のこととして、鳴く虫の声を聞くことができるのは日本人と一部のポリネシア人だけの能力で、他の人類(!)には虫の声が聞こえず、たとえ聞こえたとしても雑音としてしか聞きとれないのだそうだ(※)。私も人間の音声認識構造や聴覚能力などは全くの素人だから詳しいことは判らないが、我々が、西欧人が持たない機能を具有し、その能力のおかげで秋の鳴く虫の声を楽しんでいると聞くと、日本人でよかったナ、得したナ、と誇らしい気持ちになる。 

むかしの小学唱歌に「虫の声」というのがあった。「あれ松虫が鳴いている……」、今でも秋の夜に無意識に口ずさむことがあるが、あの歌にはマツムシ、スズムシ、コオロギ、ウマオイ、クツワムシの5種の虫が顔を出す。以前、小金井でもこれらの声を聞くことができた。ずっと以前、自宅近くの東八道路に面した草薮でマツムシの声を聞いて感動を覚えたことは忘れられない。近年ではコオロギの仲間やアオマツムシの声こそ聞かれるが、マツムシ、スズムシ、ウマオイ、クツワムシなどの声が聞かれなくなったのは、私の聴覚が齢とともに衰えたせいだろう。それとも本当にこれらの鳴く虫は小金井から姿を消してしまったのだろうか。

科学にちなんだ随筆の大家として知られている氷雪学者の中谷宇吉郎博士は、児童教育を取り上げた随筆「簪を挿した蛇」の中で、「本当の科学というものは、自然に対する純真な驚異の念から出発すべきものである」と述べておられる。そうすると、毎回のように野川公園で新たな自然の驚異に出会って感動に浸っている我々は、何時も科学の出発口で貴重な体験に出会っていることになり、これはまことに幸せなことと云えるだろう。私も、またいろいろな虫たちの声を聞いて驚異の念を抱き、そして新たな感動に浸りたいのだが……。

※中国人を含むアジアの人たちは、虫の声を楽しめるそうです(編集部注)。

会報 こなら 2018年4月1日号に掲載

「海がめ」と「陸がめ」譚(雑記帳訂正追加)

  

清 水 徹 (小金井自然観察会初代会長)


 昨年4月の会報122号に「自然観察雑記帳」の正誤表を載せていただいたが、その後、更に間違いを発見したので訂正したい。即ち128頁第10行目に「トータル」とあるのは間違いで、正しくは「タートル」である。「モックトータル」ではなく「モックタートル」が正しい。ところで「モックタートル」がどんな動物かご存知か。

まず皆さんは英語で「カメ(亀)」を指す語に「タートル(turtle)」と「トータス(tortoise)」の二つがあり、前者は専ら海ガメを、後者は陸ガメを指すことをご存知のことと思う。次に「モックタートル」であるが、英和辞書を見ると「mock turtle」は載っていないが、「mock turtle soup」という語が載っている。mockというのは「偽物」とか「模造品」という意味だから、「mock turtle soup」は「偽の海ガメスープ」を意味し、辞書にも「海ガメスープに似せて造る仔牛の肉のスープ」とある(研究社、新英和中辞典)。

このように「偽の海ガメスープ」という語があるということは、西欧では「海ガメスープ」というのが既に知られた食品であることを意味する。このスープは至極美味で、かつては王侯貴族にもてはやされたという。たとえば1987年に映画化され日本でも公開されたデンマークのI. ディネーセン作『バベットの晩餐会』にも、片田舎で働くバベットが村人を招いた晩餐会の食材中に、大きな生きた海ガメを見た村人が驚愕し、更にそのスープが美味なことに驚嘆するシーンがあった。 

何を言いたいのか判らなくなってしまった。そう、「不思議な国のアリス」に出てくる架空の動物「モックタートル」のことである。あれはわが国では小児向けの話とされているが、あの中には子供にはとても理解できない大人向けの言葉遊びや、英国史を知らないと判らないジョークがあちこちに見られるので、英国人と一杯やっているときにこれを話題にすると「おっ!知ってるね」と尊敬されて話がはずむことは間違いない。保証する。そして、あの小説のなかで「モックタートル」というのはアリスの作者のルイス・キャロルが「モックタートルスープ」にヒントを得て創作した超架空の動物なのである。即ち、本来は「偽の、海がめスープ」であるところを、キャロル先生は「偽海がめの、スープ」と洒落たわけである。

ところでアリスとモックタートルとの会話の中でモックタートルが「学生時代に良い先生に教わった」というので、アリスが「その先生は海ガメ(turtle)先生でしょ」と聞くと、モックタートルはまじめに「いや、陸ガメ(tortoise)先生でした、なにしろ我々を教えて下さった (taught us) のですから……」と答えてアリスを煙に巻くのが何ともおかしい。

このほかあの話に出てくる「いかれた三月ウサギ」、「いかれた帽子屋」、「縞模様のチェシャ猫」など、その語源を探ると興味が尽きない。また話が飛んでしまった。要するに「モックトータル」を「モックタートル」に訂正して欲しい。それだけのことなのである。

ところでこのように「モックタートル」で思考の遊びを楽しんでいるとき、この語がある分野で現実に使用されていると知って驚いた。即ち服飾用語で首に密着する高い襟、もしくはそのような襟を持つセーターやTシャツのことを「タートル ネック」と呼ぶが、これは単に「タートル」と略称され、そして「タートル ネック」ほどではないが高い襟のセーターやシャツのことを業界では「モック タートル」と呼んでいる事実があるのを知った。このようなことは多少なりとも服飾やファッションに興味をお持ちの方であれば常識なのだろうが、これまで私が得々と「モックタートル」につき浅い知識をひけらかしていたのがお恥ずかしい。この様子では、この広い世の中にはまだほかの分野にも「偽海がめ、モックタートル」がいるのではないか、と気になってしまう。

ところで小金井近辺で見られるカメといえば、貫井神社や滄浪泉園の池などで多数見られるミシシッピーアカミミガメ(=ミドリガメ)であるが、ご存知のようにこれは外来種であり、他の生物の生活の妨げになるとして特定外来生物に指定され駆除の対象にされている。これのスープがうまいかまずいか、私は知らない。